普段体を動かす機会の多い人ほど意識や言葉に囚われてしまうことがあります。
例えば「母指球で踏む」ということを意識し過ぎて歩行をしたりアーサナを取り続けることで、外反母趾や足裏のタコ(オクトパスじゃない方)を促進されたりします。
足裏のスムーズな体重移動の結果として母指球に体重が乗ってくるのは自然なのですが、強過ぎる「意図」が入ることで体に変なクセをつけてしまうことがあるのです。そもそも足裏のバランスには体幹部や股関節のクセも現れますので、ただ「母指球で強く踏む」ことが善というわけではないのです。
これは一例ですが、ヨガをやる中でも多少扱いが難しい言葉があります。
・背筋(せすじ)
・母指球
・アーチ
・腸腰筋
・反り腰(悪者の意味としての)
・引き締め
・引き込み
・胸式・腹式呼吸
・バンダ
・インナー
などなど。
本当は身体を動かしやすくしたいのに。そのために色々気を遣って意識してるはずなのに。
そもそも自然の法則(地球における重力や人間の身体の中で起こる代謝など)があって、その中でただ名前も言葉もなく生物として身体活動をしていた人間。
そして言葉をというコミュニケーションツールを得て存在しないものをあたかも存在するかのように想像し、名前を創造した人間。
しかし、、お互いの共通認識があった上でやり取りする言葉はただ便利だから使っているだけであって、その事象につけられた名前には「範囲」と「ブレ」があり、同じ名前のものを実践しているからといってAさんとBさんが同じことをしているわけではありません。胸式呼吸と腹式呼吸の例なんかを考えるとわかりやすいかもしれません。
まあこの辺は話すと長くなるし、人間の思考や文化の核の部分に迫らなけばなりませんのでこれ以上の言及は避けるとして。。
ともかく言葉や意識に囚われ過ぎることもあるよね。もし迷ったら本当に身体にとって心地よいことなのか、もう一度自分の感覚を見つめ直すといいよね。くらいに思っといてもらえればいいのかなと思います。
「〜しなければならない」と考えると心身が固まってくることが多いので、「〜もできるし、〜もできる。身体の可能性ってすごいなぁ。」くらいが楽なんじゃないでしょうか。
どうですかね⁇
ということでまた次回!!