一日考えていた。
どこで自分は道を間違えたのか?
いや、そもそも最初から道などなかったのか?
考えれば考えるほど自分の愚かさが骨の髄まで侵食してくる。
目を塞ぎ現実から逃れたい衝動に駆られる。
それでももう一度自分の足跡を辿り、ここに書き記そう。
この先同じ過ちを犯してしまう人を一人でも減らすために。
そして自分自身が新しい一歩を踏み出すために。
今から遡ること2ヶ月。
8月の猛暑日にバナナスパイニーテールイグアナを我が家に迎えた。
名前はトゲバナナ。全長1mを超す大きさになる種だが、8月の時点ではまだ50数センチ。まだ成長過程にあるイグアナだ。
日中は部屋を散歩したり、肩に乗ったりしているが寝床にしているのは120cmのケージ。そしてこのケージは何を隠そう、あの保護リクガメ「ギーナ」の冬用ケージだった。
冬以外の季節は庭で生活しているギーナ。つまりは屋内の120cmケージは住人不在で空っぽなのだ。
そこで冬までの数ヶ月間トゲバナナにはその借家に住んでもらうことにしたのだ。
当然これは一時的な住処であり、ギーナが家に戻ってくる季節になればトゲバナナの眠る場所はなくなる。
だから僕はトゲバナナのために特注のケージを用意することにした。
幅150cm×高さ80cm×奥行き60cmの巨大ケージ。しかも樹上性のイグアナのための二階建て仕様。大きな流木を立て掛ければ1階と2階を行き来できる立体的な作りだ。
既製品としては存在しないサイズと形。もちろん制作費はかなりのものになるが、住みやすそうな巨大ケージに胸が高鳴る。
そしてこのサイズは2階の爬虫類部屋兼仕事部屋(オンラインヨガをやっている部屋)の押し入れにピッタリハマるサイズなのだ。綿密に採寸し、その空間をフルに活かせる設計図が完成した。
まさにドラえもん的発想。メガネをかけた少年の家に住み着く青色の機械的生物と同じ発想。そしてそれは「空間を活かす」という古来からの日本人の知恵だった。
そう、完璧だったのだ。2ヶ月前の自分の中では。
昨日、そのケージが届いた。
配送業者が家の前でトラックからケージを下ろした時に少し違和感を感じた。
ただ僕はその違和感を胸の底へと押し込めた。本当はその時にはすでにわかっていたのかもしれない。それでも見て見ぬふりをした。
玄関まで運ばれた巨大ケージ。廊下が塞がった。業者の方とはケージを壁に隔てられ伝票を受け取ることすらできなかった。
2階にいた妻を呼んだ。
ケージを見た妻は口を開きかけた。
それを見て僕はまだ抵抗を続けていた。
(やめてくれ。まだ希望はある。どうか確定させないでくれ。)
しかし、そんな願いで止まるはずのない妻の素直な口。
「これ、階段通らないよ。」
本当はわかってた。実物を見た時から心の奥底ではわかってたんだ。狭くて急な我が家の階段を突破できないであろうことくらい。
それでも認めたくなかった。
典型的なプロスペクト理論。自分の状況に応じて冷静な判断ができず楽観的展望に縋りついた。
せっかく買ったのだからそんなはずはない。角度をうまく調整すれば運べるだろう。
しかし現実は...
かすりもしなかった。階段の入り口さえも通りはしなかったし、中間地点の幅もダメだった。
全て圧倒的にダメだった。
最初からそこに道なんてなかった。
僕は、
入り口さえ知らない状態で存在しない道を進もうとしていた。
サッカーを何人でプレーするのかさえ知らない状態でオーバーヘッドを決めようとしていた。
ランニングシューズを買わずに草鞋でフルマラソンを走れると思っていた。
タダーサナを知らずに「美しすぎる太陽礼拝」に挑戦しようとしていた。
そんな人間に訪れる結末はすでに決まっていたのだ。一歩離れたところから自分を見つめていれば当たり前にわかったことなのに。
先に広がる道はいつでも未知だが、今回は察知できたであろう道。
その未知でもなかった道を見誤った僕に残ったのは1階の食卓の横に置き去りにされた巨大ケージ。
住人なきその空間はさらに巨大に見えた。
それでも進もう。この経験を糧に。
というか引っ越そう。このケージを理由に。
1階にもスペースのある家か階段幅の広い家に。
・・・
ということでモノを買う時は搬入のことを考えましょう!!泣
また次回!!