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「ら」抜き言葉

2019/06/03
「ら」抜き言葉
今回は3日ほど前から触れている「ら」抜き言葉についてですが、ヨガのホームページのブログでなんのことやらという感じですね。でもとりあえず話を進めていきます。

「ら」抜き言葉とは「見る」などの上一段活用や「食べる」などの下一段活用の動詞、カ行変格活用動詞「来る」に可能の意味を付け加える助動詞「〜られる」がついた時、「見れる」「食べれる」「来れる」とならずに「見れる」「食べれる」「来られる」となる現象を言います。「教科書的」には入るはずの「ら」が抜けてしまうことは現代の言葉の乱れなんて言われたりもします。みなさんは日常でどちらを使うことの方が多いでしょうか?

ただこの「ら」抜き言葉という現象、抜かれているのは「ら」じゃなく"ar"だった!なんてことが少し前に話題になっていました。
どういうことかというと、

「みれる」→「みれる」
のように「」が抜かれていると考えるのではなくて、

「mirareru」→「mireru」
というように"ar"が抜けていると考えるほうが自然ということです。

そもそも日本語をひらがなではなくアルファベットで分析する方が良いというのは、子音と母音をわけて考えた方が言葉全体の音を考える際には理にかなっているからだと思います。子音と母音が発音される仕組みが異なっているため、身体の構造に関係の深い音の変化などを分析する際には、子音と母音が複合したひらがなは使い勝手が悪くなってきます。

アルファベットはわかったけど"ar"じゃなくて"ra"が抜けてると考えてもいいんじゃないかという声が聞こえてきそうですが、"ar"が落ちたと判断する理由はいくつかあるようです。その一つが五段活用動詞に可能の助動詞がついた場合と比較した時の共通要素。

「行く」の可能動詞は「行ける」
でもご年配の方などは「行かれる」と言うことが多いですね。(年代でやはり傾向があると思うのでこう書きましたが個人差はかなりあると思います。失礼があったらごめんなさい。。)

アルファベットでみると、
「ikareru」→「ikeru」
こちらの場合は"ar"の前に"r"がないので明らかに"ar"が抜けているというのがわかります。

そして「行かれる」などの"ar"有り言葉と「行ける」などの"ar"抜き言葉の共存はもう何百年も前から起こっているそうです。そして元々は"ar"有り言葉だけが存在していたのです。そして現在、ほとんどの若者が「行かれる」ではなく「行ける」を使っていると思います。

こういった五段活用の動詞と照らし合わせてみると「食べられる」→「食べれる」などの「ら」抜き言葉も"ar"抜き言葉の一つとして捉えていいのではないかと話でした。

次回からは「ら」抜き言葉を通したものの見方を考えていきたいと思います。

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