今日はヨガやその他のことを学ぶ時に一歩留まって考えたいことの話です。
世の中の多くのことには教科書や教科書のような考え方があったりします。学校で学ぶ教科にもスポーツにも仕事にもそういったものが存在します。1から自分で全て考えるよりも先人達の知恵を借りて多くのことを効率よく学べ、より発展したことを考えたり行ったりすることができます。
学問の分野なら研究が進み、スポーツの世界ならどんどん競技レベルは上がり、仕事のフィールドでは能率が上がったり新たなアイデアが生まれたりします。
過去の努力の蓄積から現代にも生かせる知識、ものすごく貴重でありがたいものです。その通りにするとうまくいくことがたくさんあります。
でもそれと同時に頭に入れておいたほうがいいこともあります。
多くのことが仮説だということ。「そうしなければならない」ことではないかもしれないということ。
どういうことでしょう?抽象的過ぎてわからない...
ということでここではまた言語を例にあげて考えていきましょう。みなさんも学生時代習ったであろう文法について考えます。日本語の文法、英語の文法、色々と文法にはお世話になった(or苦しめられた)とは思いますが、文法とはそもそもなんでしょう?文法がなんなのかということを通して最初に書いた色々な分野の「教科書的な考え方」について考えたいと思います。
少し前に日本語の濁点についてブログを書きましたが、今回も日本語についてです。ここ十数年くらいで定期的に話題となる「ら」抜き言葉ですが、自然に使っている人も多いと思います。そもそも「ら」抜き言葉とはいったいどんなもので、何が問題なのでしょうか?また本当に問題があるのでしょうか?学校で「ら」抜き言葉を使ったら注意されたなんてこともあると思います。
「ら」抜き言葉を考えることで色々と見えてくる部分もあると思うので、時間のある時に少し考えてみてください。
では続きはまた今度。