まだ身体は完全であるとは言えないものの体力もだんだんと増えてきて活動量も増えてきました。そんな中新たな人生の幕開けとなるような出来事が2つ起きました。
「結婚」と「受験」です。あまりセットで見かけないような言葉の組み合わせだとは思いますが。。
28歳になる年の夏、結婚を決めました。もう10年近く付き合いのある稲城市在住の女性とでした。僕が動けずどん底の時期もずっと付き合い続けてくれた人です。(結婚を機に彼女の地元の稲城市に住み始め後々稲城でRSYヨガ教室を始めることになります。)そしてその結婚の直後に大学受験をすることを決めました。大きなきっかけがあったわけではないのですが突然決めてしまいました。ある日、家の近くの書店をぶらぶらしていたのですが、なぜか山積みにされた大学受験の参考書が目に入ったのです。ただしその時点まで「大学入学」という選択肢は実のところまったく頭にありませんでした。諦めていたとかではなく自分の身体や生活のことでいっぱいいっぱいで単純に全く考えていなかったのです。しかし本屋で目にとまった山積みの参考書はなぜか頭から離れず、その場で大学受験案内の本(色々な大学が紹介されている本)を一冊買っていました。その後で大学で何かを学んでみたいという思いが一気にふくらみました。
この一連の行動は「身体」と「心」の関係の核心部分になり得るかもしれません。
「結婚」や「受験」というものは両方ともものすごくエネルギーが必要とされるものだと思います。十分なエネルギーが身体と心になければそれをやろうとする気も絶対に起きないと思うのです。(結婚を決めたのは妻からだったという事実はひとまず置いておきます。。)現にこの前年までも時間的にはチャンスはあったはずなのに結婚も受験も頭の片隅にもなかったのです。
つまり何年もかけて下半身を中心に身体をつくり積み上げていったバイタリティがこの年ある一定の水準まで到達していたのです。一定の水準とは「結婚や受験などのアクションを起こすのに十分な量」ということになります。
結婚直後に突然決めた受験を快く受け入れてくれた妻には感謝しかありませんが、ともかく受験勉強が始まったのです。この何年か前に仕事などで必要だったため高校卒業認定(旧大検)は取ってありましたので受験資格はありました。(高卒認定に関しては高校の先生が尽力して3年まで進級させてくれていたおかげで国英2科目の試験で済みました。)とはいえもちろんほとんど通っていない高校の知識は皆無に等しく、中学の数学問題ですら解けない状態。。思い立ったのが2014年の夏だったため受験本番は約半年後の冬、急ピッチで勉強を進めなければなりません。そもそも志望校を決めなければなりませんが、それまで大学には無縁だったためどこに行きたいかなかなか決まりません。結局色々考えたり詳しい人に助言をもらったりして東京大学を目指すことにしました。「どうせ10年遅れの受験をするなら高い目標の方がいい」くらいの気持ちでしたが、当時は東大の難易度もよくわかっていませんでした。でも無知ゆえにまっすぐと目標に向かうことができました。
そしてこの受験勉強を支えたのが実は下半身のトレーニングなのです。仕事をしながら半年間で高校3年分の勉強(しかも1日に10科目以上!)をこなし試験問題に答えられるレベルに到達させるのは大変なことでした。完全に自分の許容量を超えていました。そこで勉強の合間に下半身(特に股関節)を中心に動かすトレーニングを取り入れてバイタリティを保ち頭を新鮮な状態に保ち続けたのです。また勉強している時の座り姿勢なども身体と頭をフルに使えるように試行錯誤していきました。
そして勉強効率の他になにより大きかったのは下半身トレーニングによる精神面への効果でした。何かにチャレンジする時、それが世の中の常識に外れていればいるほど精神的な枷(かせ)が生まれてしまいます。その枷が目標に対する努力の持続を妨げてしまいます。例えば今回の場合「この年で受験なんて場違いじゃないか」「そもそも半年の受験勉強じゃ全然足りないのではないか」「周りの受験生の多くが名門高校や進学塾で鍛え上げられた子達なのに自分は中卒。。」などです。でもそれらの枷は結局は自分の心が生み出しているもの。自分の頭の中にだけ存在しているものです。身体をうまく使うことでこれらの心の揺れを抑えることができたのです。
さらにここでは詳しくは書けませんが、心身を限界近くまで追い込んだ受験勉強中のある日の出来事が後々ヨガへの興味へとつながっていきます。ヨガの開始はまだ先のことになるのですがこの受験勉強期にはそのための芽が生まれていました。
体力的、精神的にきつい半年ではありましたが、その辛さは身体が動かなかった頃の百分の一にも満たないくらいのものだと思いました。受験が大変だったとはいえ目標に向かうための「プラスのきつさ」なのです。望んでもいないのに容赦なくつきつけられる「病気の辛さ」とは種類がまったく違うのです。結局は目標に向かって努力ができる身体の土台、そして周りの環境があるということが何よりの幸せでした。その結果受験にも受かり、当時28歳でしたが東大の1年生として入学が決まったのです。周りの同級生のほとんどはちょうど10歳下の18歳の新入生でした。新しい仲間との出会いはまた新鮮な活力を与えてくれました。
そしてこの大学入学がきっかけでまた新たな思いが生まれてきました。「誰にも等しく可能性があっていいはずなのに、過去の自分と同様におそらく多くの人が目標や夢に向かって努力する身体的土台、精神的土台、環境的土台を持てずにいる。何か出来ることはないだろうか?」しかしこの問いをすぐに消化することはできず大学生活は始まります。とにかく自分が目の前のことを思い切りこなして答えに近づこうとしました。
大学入学後は授業の時間を確保しなければならないため、時間の融通のきく水泳のパーソナルインストラクターとして東京体育館で活動しました。授業と仕事でほとんど休みがない上、レポートや試験などで睡眠時間を削られる生活。体力はかなりついたとはいえ幼い頃からの症状なども依然として一部残ったままだったので生活に余裕はありませんでした。しかしながら「目の前のことを思い切りやる」ということは決めていたので要領の良さだけを求めることはせず遠回りでも多くの刺激を自分に吸収できるように努めました。(それでも疲れて授業中眠りこんでしまったことは多々ありますが。。)東京大学には2年生の終わりに「進学振り分け」というシステムがあり、そこで学部が決まってきます。1〜2年までにそれに見合った成績を取っておけば希望する学部に入れるシステムです。入学時にはどこの学部に入るか全く決めていなかったのですが、言語に興味が出てきたので後期教養学部の学際言語コースという所に進学しました。
仕事としては水泳のパーソナルインストラクターとして多い時には一日10人以上、年間延べ1200人以上のレッスンを行いました。1対1で人と向き合う仕事ですのでここでも手抜きはできません。来てくださる方1人1人の特性に合ったレッスンを出来るように心がけました。3歳から80歳、初心者から競技者までたくさんの方と接することができ自分の知らなかった世界観、価値観にも触れることができました。レッスンを受けてくれた多くの方も水泳の上達を喜んでくださりました。他人が上達や変化を喜ぶところを見て僕自身も嬉しいと感じるようになったのはこのパーソナルの仕事のおかげだと思います。自分の身体のことでいっぱいっぱいだった時期は他人に共感するという感情があまりなかったように思います。人としてだいぶ遅い成長ではありますがだんだんと人対人の関係を考えるようになってきます。
ところで同時進行で私生活にも新たな変化が生まれました。大学一年の冬には長男が生まれ、三年の冬には次男が生まれました。子供の誕生も自分中心だった考え方にも変化をもたらしました。しかしながら3年間の大学生活と仕事の両立は時間的な余裕が全くなく子どもと関わる時間を多く持てずにいました。そして2人目が生まれた直後もっと子どもたちに関わりたいという思いが生まれ大学の休学制度を知ります。そういった経緯があり2018年の4月からあと一年残っている大学は休学しています。
そしてこの休学中に大学入学の時に生まれた思いをだんだんと具現化できるようになっていくのです。